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大分地方裁判所 平成元年(ワ)137号 判決 1991年11月27日

原告

鶴見虎義

ほか一名

被告

百武正伸

ほか一名

主文

一  被告らは、各自原告らに対し、それぞれ金三九二万八三五〇円及び内金三五七万八三五〇円に対する昭和六三年五月二七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告らの連帯負担とし、その余を原告らの連帯負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自原告らに対し、それぞれ金二〇二六万四七六六円及び内金一九二六万四七六六円に対する昭和六三年五月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故(以下「本件事故」という。)の発生

亡鶴見慶子(以下「亡慶子」という。)は、昭和六〇年一月一一日午後〇時五分頃、大分市南鶴崎三丁目二番七号後藤家具店前道路で、停車中であつた訴外李吉正運転のタクシーの後部座席に乗車中、後方から進行してきた被告百武正伸(以下「被告百武」という。)運転の普通貨物自動車に追突された。

2  亡慶子の受傷、治療経過、自殺

(一) 亡慶子は本件事故により一時意識喪失になる程の頚椎挫傷の傷害を負つた。

(二) 治療経過

(1) 亡慶子は、本件事故の翌日である昭和六〇年一月一二日から同月一四日まで頚椎挫傷の治療のため、大分市内の吉田医院に通院し、同月一四日から同年四月一六日まで、同医院に入院して治療を受けた。

(2) 亡慶子は、吉田医院入院中から、夫である原告鶴見虎義(以下「原告虎義」という。)と経営する飲食店の経営状況を気にしたり、自分が働けないことを気に病んだりするようになり、不眠と抑うつ状態となつた。そこで、吉田医院の紹介で、昭和六〇年四月一一日から同六一年一〇月二日まで大分市内の渕野病院に通院して、外傷性心因反応の治療を受けたが、周期的な抑うつ状態は残つた。

(3) 昭和六一年一〇月一二日、亡慶子は、全身の痙攣発作を起こし意識不明となつて、大分市内の岡病院に入院した。岡病院では、外傷性の症候性てんかんと反応性うつ病との診断名で、昭和六二年一月二三日まで入院した。退院の理由は、外界との接触を保つて体を動かした方が回復しやすいということであつた。

(4) 亡慶子は、その後自宅での療養を続けていたが、昭和六三年五月二七日午後一〇時頃、病苦の余り大野川で入水自殺した。

3  自殺と本件事故との相当因果関係

亡慶子の自殺は、本件事故に起因する外傷性心因反応及び反応性うつ病によるものであるから、本件事故との相当因果関係がある。

4  責任原因

(一) 被告百武は、加害車両の運転者であり、前方注視義務を怠り、停車中の前車に追突したので民法七〇九条の不法行為責任がある。

(二) 被告株式会社田北電機製作所(以下「被告会社」という。)は、加害車両を自己のために運行の用に供していたから、加害車両の運行供用者として自動車損害賠償保障法三条に基づき人的損害を賠償する責任があり、また、被告百武の使用者であるから、民法七一五条に基づき使用者責任がある。

5  損害

(一) 傷害による損害

(1) 治療費 金四〇万円

(2) 入院雑費 金二五万六一〇〇円

亡慶子は吉田医院に九三日間、岡病院に一〇四日間合計一九七日間入院しており、一日につき金一三〇〇円として計算する。

(3) 休業損害 金七一九万〇〇五〇円

亡慶子は食堂の経営者で昭和五九年度の年収は金二一四万五八四五円であり、亡慶子は本件事故当日から死亡まで一二二三日間就業が不能であつた。したがつて、休業損害は右の金額となる。

(4) 傷害慰謝料 金六〇〇万円

(二) 死亡による損害

(1) 逸失利益 金八四八万三三八三円

亡慶子の前記の年収を基礎とし、生活費控除率を四割とし、死亡時である六〇歳から六七歳まで稼働可能として、中間利息を新ホフマン係数を用いて控除すると、逸失利益は右の金額となる。

(2) 死亡慰謝料 金一六〇〇万円

(3) 葬儀費用 金一〇〇万円

(三) 填補 金八〇万円

したがつて、損害は金三八五二万九五三三円となる。

(四) 弁護士費用 金二〇〇万円

6  原告虎義は亡慶子の夫、原告鶴見伸二は亡慶子の子として、亡慶子の損害賠償請求権を二分の一ずつ相続し、また、前記葬儀費用及び弁護士費用を二分の一ずつ負担することとした。

7  よつて、原告らは、被告ら各自に対し、それぞれ金二〇二六万四七六六円及び弁護士費用を除く内金一九二六万四七六六円に対する亡慶子死亡の日である昭和六三年五月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  同1の事実は認める。同2の事実は知らない。同3の事実は否認する。同4(一)の事実は否認する。同4(二)の事実のうち被告会社が運行供用者であることは認め、その余は争う。同5の事実のうち填補の事実は認めその余は争う。同6の事実のうち原告らの身分関係及び各二分の一の持分の相続人であることは認め、その余は知らない。

2  亡慶子には本件事故前から自律神経失調症等の既往症が存在したので、事故後の亡慶子の愁訴は右既往症によるものと思われ、亡慶子には頚椎挫傷の傷害は生じていない。

仮に頚椎挫傷が生じていたとしても右傷害自体は軽度であり、本件事故と自殺との因果関係については、<1>頚椎挫傷の治療経過が順調であつたこと、<2>原告らの主張する心因反応と事故との因果関係には疑問があり、仮にこれを肯定するとしても、心因反応の治療は順調であり、亡慶子は事故後三年以上経過し、岡病院の退院時より一年五か月経過した後に自殺していること、<3>また、亡慶子は事故前から続く更年期障害のほか、高血圧症、糖尿病、外発性神経炎、白内障等の本件事故とは無関係の身体的問題を抱えていたこと等を考慮すれば、本件事故と自殺との相当因果関係は否定されるべきである。

第三証拠

本件記録中、証拠目録記載のところを引用する。

理由

一  請求原因1の事実(本件事故の発生)については当事者間に争いがない。

二  亡慶子の受傷、治療経過、自殺について

成立に争いがない甲第二号証、第一二号証の一ないし二一、乙第一号証の一ないし七、第二号証の一ないし三四、第三号証の一ないし四四、第四号証の一ないし五〇、原本の存在と成立につき争いがない甲第三ないし第八号証、原告虎義の本人尋問の結果により成立が認められる甲第一一号証、証人吉田正樹、同渕野勝弘、同岡宗由の各証言及び原告虎義の本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  亡慶子は、本件事故当日は、そのまま所用を済ませた後帰宅したが、肩甲部から頚部にかけて痛みがあつたため、翌昭和六〇年一月一二日、吉田医院に赴き、頚椎挫傷との診断のもとに通院加療を受けたが軽快せず、同月一四日、同医院に入院した。

亡慶子は、同医院において、通常の鞭打ち症の治療である消炎剤の投与及び理学療法等を受けていたが、夫である原告虎義と二人で切り盛りしていた焼肉店のことや、老齢の義母の看病のことを気に病み、また、保険金目当てで入院していると思われているのではないかなどと考えるうち、不眠となり、同年四月始め頃からうつ様の症状を呈し、吉田医師の紹介で、同年四月九日、大分ルカス医院において診察を受けた。同医院の医師の診断では、亡慶子はうつ状態で、うつ病のタイプとしては反応性のものが考えられるとのことであつた。

そこで、亡慶子は、吉田医師の紹介で精神科病院である渕野病院に通院することとなり、同年四月一一日、渕野医師の診察を受けた。

一方、頚椎挫傷そのものは治癒したので、同年四月一六日、吉田医院を退院した。

2  渕野病院における治療

(一)  昭和六〇年四月一一日の渕野病院における初診時、亡慶子は、「アイタタター、アイタタター」とぶつぶつ言いながら、机に俯せになつたり、体を左右に動かしたりし、会話も殆どできない状態であつた。

渕野医師は、心因反応又はヒステリーとの診断のもとに向神経薬物療法を行うこととした。亡慶子は、以来渕野病院への通院を始めたが、会話は独語を伴つてまとまりがなく、人に会うのを怖がり、音に対して敏感な状態で、同年五月五日頃には、死ぬといつて古井戸に飛び込む異常行動を取つたこともあつた。

同年六月頃からは、以前に比べて感情が安定し、家事の手伝いも出来るようになり、希死念慮も否定されて、安定した日々が続いていたが、同年九月頃から、意欲が減退し感情がやや不安定となり、同年一〇月頃から、「イライラする。」「疲れる。」「死ぬる人はいいなあ。」などというようになり、不眠も強くなつた。

(二)  渕野医師は、亡慶子に行動、思考の抑制が見られ、不安感の増強が認められて、抑うつ状態を呈したため、同年一〇月二八日以降、亡慶子の病名に、「抑うつ状態」を加え、抗うつ剤を中心とする治療を行うこととした。

亡慶子は、同年一二月末から多少意欲が生じ、昭和六一年一月から三月頃まで、うつ感情が消失して安定した状態が続き、同年四月始め頃には、ホンコン旅行に行くまでに回復したが、右旅行を機に再びうつ状態となり、希死念慮も現れた。

しかし、同年七月頃には、うつ状態が消失し、意欲も出てきた。渕野医師は、同年七月九日以降の亡慶子の診断名を「神経症性うつ病」と変更している。

ところが、亡慶子は、同年九月中旬頃から、意欲減退、思考抑制が現れ、うつ状態となつたが、同年一〇月二日の通院後、後記3(一)の経緯で岡病院に入院したため、渕野病院への通院は中断した。同日当時の症状は、食欲の低下、身体の疲労感を訴え、将来に対する不安、自発性の欠如を伴つて抑うつ感情が強く、思考、行動抑制が認められ、不眠もある、というものであつた。

なお、亡慶子は、後記のとおり岡病院に通院を始めた後である昭和六二年二月一〇日、最後に渕野病院をおとずれ、「あの世へ行くことしか考えていない。」などと抑うつ的なことを訴えたが、特に投薬を受けることもなかつた。渕野医師は、同月一九日に作成した診断書の中で、今後も周期的に抑うつ感情の波があるものと予想した。

3  岡病院における治療

(一)  昭和六一年一〇月一二日、亡慶子は、突然全身の痙攣発作に襲われ、救急車で岡病院に運び込まれた。

岡病院では、亡慶子が本件事故による入院歴を有したことから、亡慶子の症状を「症候性てんかん(外傷性)」と診断して入院加療を行い、抗てんかん剤の投与等を行つたが、亡慶子の脳波、頭部CT検査の結果には異状はなくその他の他覚的所見もなかつた。

亡慶子は、昭和六一年一〇月三〇日には、「何もしたくない、早く死にたい。」と抑うつ感情を訴えたことなどから、岡病院の医師において、同年一一月一一日、病名に「仮性うつ病」を加えて薬物療法を行い、ある程度症状が改善したため、昭和六二年一月二三日、岡病院を退院した。

(なお、昭和六一年一〇月一二日の痙攣発作につき、岡病院では、右のとおり症候性てんかん(外傷性)と診断しているが、証人渕野の証言及び弁論の全趣旨によれば、症候性てんかんとは、脳の器質的疾病の存在を証明できるてんかんを意味するところ、証人岡の証言によれば、岡病院においては、亡慶子が過去に交通事故による入院歴を有したことから、外傷によつて脳に器質的疾病が生じた可能性もあるので、症候性てんかんと診断したとのことである。しかし、亡慶子の脳波検査、頭部CT検査にも異状は無く、後記三2(一)のとおり鞭打ち症の程度も軽度のものであつたのであるから、本件事故により脳の器質的変化が生じたと解することは困難であり、したがつて、亡慶子が症候性てんかんであつたことを認めることはできないというべきである。そして、前記の病状の経緯及び証人渕野の証言によれば、右痙攣発作は、非器質性で心因性のものであつたと認めるのが相当である。)

(二)  以後、亡慶子は、岡病院に通院することとなり、約一年の間、さまざまな愁訴により、仮性うつ病をはじめ、変形性腰椎症、変形性膝関節症、高脂血症、胃炎、更年期障害症候群(不安神経症)、収縮性心膜炎(疑)、多発性ロイマ性関節炎、脂肪肝等の病名のもとに治療を受けた。

その間、昭和六二年一一月頃からは、抑うつ感情が消失し、昭和六三年の正月には来客の接待をできる程になり、岡病院への通院は同年二月二七日をもつて中止した。

4  自殺

ところが、昭和六三年三月頃から、抑うつ感情が出現し、自宅で寝起きしていたが、昭和六三年五月二七日、大野川において入水自殺した。

三  本件事故と自殺との因果関係について

1  亡慶子が本件自殺に至つた原因については、これを明らかにする直接の証拠はないが、前述のとおり、亡慶子には周期的に抑うつ感情が出現しており、自殺当時も抑うつ状態にあつたと認められること、亡慶子は、過去においても、抑うつ状態にあるときに希死念慮にかられたことがあることからすれば、同女は、抑うつ状態における絶望感、罪業感から自殺を図つたものと考えるのが相当である。

次に、亡慶子の抑うつ状態の発現の原因について考察するに、本件事故以前に亡慶子が抑うつ状態にあつたことを認めるに足りる証拠はなく、本件事故後、本件事故による頚椎挫傷の治療のため吉田病院に入院中に、前記二1の経緯で抑うつ状態が発現し、これが一進一退を繰り返しつつ、継続して行つたのであるから、本件事故がなければ、亡慶子の抑うつ状態は出現しなかつたと解することができる。

したがつて、本件事故がなければ、亡慶子の抑うつ状態は生じず、また、自殺もしなかつたという意味で、本件事故と亡慶子の自殺との間には、条件関係ないし事実的因果関係を肯定することができる。

2  しかし、交通事故の加害者が負うべき被害者の損害の範囲は、事故と条件関係にあるすべての損害ではなく、その中で、社会通念に照らし、加害者が負うことが相当と思料される損害(事故と相当因果関係の範囲内にある損害)に限られるべきである。そして、右相当性の判断に当たり、本件においては次の事情が存在する。

(一)  亡慶子が本件事故により被つた傷害は、証人吉田の証言によれば、通常の鞭打ち症でその程度は軽度のものであつたことが認められること、

(二)  亡慶子は、事故後約三か月目に、抑うつ状態となつているが、その契機は、前記二1のとおり、入院中、原告虎義と二人で切り盛りしていた焼肉店のことや、老齢の義母の看病ののことを気に病み、また、保険金目当てで入院していると思われているのではないかなどと考え悩んだことが原因となつており、本件事故そのものによつて被つた精神的打撲や身体的苦痛によるものではないこと、

(三)  亡慶子が抑うつ状態に陥つた当初の診断は、大分ルカス病院の医師は反応性うつ病、渕野医師は心因反応又はヒステリーというのであり、いずれにしても、ある精神的外的体験(本件の場合は、前記のように事故後の入院に伴う種々の葛藤)によつて引き起こされた状態であつたことが明瞭であつたと解されるが、本件に見られる、<1>右状態に対する治療は、精神科の専門医である渕野医師によつて適切に行われ、亡慶子の抑うつ状態は、昭和六一年四月頃には、海外旅行が可能になる程良好になつたが、それにもかかわらず再び抑うつ状態が現れていること、<2>その後、渕野医師が、昭和六一年七月頃に、診断名を「神経症性うつ病」と変更しているところ、証人渕野の証言及び弁論の全趣旨によれば、神経症性うつ病とは、性格的要因を中心とした神経症機制によつて引き起こされる抑うつ状態で、直接の契機となる心因との関係は薄く、反応性うつ病とは一応区別されるものであること、という事情に鑑みると、亡慶子の抑うつ状態は、当初の、外的要因により引き起こされた反応性のうつ状態から、次第に右要因から切り離されたものとなつて継続していつた可能性が大きいと考えられること、

(四)  本件事故から、自殺までは約三年四か月という時間の経過があり、本件事故以外の他の要因が亡慶子の抑うつ状態継続の原因となつた可能性も否定できず、特に、前記二3(二)のとおり亡慶子は、岡病院において、本件事故との因果関係を認めることが困難と思われるような病状を含む様々な疾患の存在を訴えており、右疾患から生じた肉体的苦痛等が亡慶子の抑うつ状態に対して影響を与えた可能性も有り得ると解されること、

以上(一)ないし(四)の各事情を総合すれば、本件事故と亡慶子の自殺との間には、社会通念上相当と認め得る因果関係は認め難いというべきである。

四  本件事故と相当因果関係のある入・通院期間

1  前記三のとおり、亡慶子の抑うつ状態は、当初の心因反応又は反応性うつ病の状態から、渕野病院に通院するうち、次第に外因と切り離されたものとなつていつたと解されること、亡慶子が抑うつ状態に陥り、これが継続して行つたことについては、亡慶子の性格や生活環境が大きく寄与していることが否定できないことからすれば、その入・通院期間のすべてを、加害者の責めに帰することは相当とは思えない。

したがつて、本件事故と相当因果関係にある入・通院期間は、その症状の経緯から見て、岡病院の入院中の期間をもつて、最大限のところと解するのが相当であり、右病院退院後の通院と本件事故との間には相当因果関係は認められないというべきである。

2  したがつて、本件事故と相当因果関係の関係にある入・通院は次のとおりである。

(一)  吉田病院

通院 昭和六〇年一月一二日から同月一四日

入院 同月一四日から同年四月一六日(九三日)

(二)  渕野病院

通院 昭和六〇年四月一一日から同六一年一〇月二日

(三)  岡病院

入院 昭和六一年一〇月一二日から同六二年一月二三日(一〇四日)

五  被告らの責任原因について

原本の存在と成立につき争いがない乙第五及び第六号証並びに弁論の全趣旨によれば、請求原因4(一)の事実(被告百武の過失)を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

請求原因4(二)の事実のうち、被告会社が運行供用者であることは当事者間に争いがないから、被告会社は自賠法三条により、本件事故による人的損害を賠償する責任がある。

六  損害について

1  治療費 金三七万七七六三円

原本の存在と成立につき争いがない甲第一〇号証及び弁論の全趣旨によれば、前記四2記載の入・通院に要した治療費のうち、渕野病院の治療費金一一万三九一九円、岡病院の入院中の治療費金二六万三八四四円の合計金三七万七七六三円が未払いであることが認められる。

2  入院雑費 金二一万六七〇〇円

前記のように亡慶子は、吉田病院に九三日間、岡病院に一〇四日間、合計一九七日間入院しており、入院雑費は一日につき金一一〇〇円をもつて相当と認められるから、入院雑費は合計金二一万六七〇〇円となる。

3  休業損害 金四三六万二二三八円

前記認定の経緯及び原告虎義本人尋問の結果によれば、亡慶子は、本件事故前は、家業の焼肉屋において原告虎義とともに働いていたが、本件事故の翌日から自殺するまで、就労が不能であつたことが認められる。しかし、前記のとおり、本件事故と相当因果関係の認められる治療期間は岡病院の退院時までであるから、本件事故と相当因果関係のある休業期間も、本件事故の翌日から右退院日まで(昭和六〇年一月一二日から同六二年一月二三日)と解するのが相当である。したがつて、休業期間は、二年と一二日である。

原本の存在と成立につき争いがない甲第九号証によれば、亡慶子は年額金二一四万五八四五円を下らない収入を得ていたことが認められるから、亡慶子の前記期間中の休業損害は、金四三六万二二三八円となる(一円未満切り捨て)。

2,145,845×(2+12÷365)=4,362,238

4  入・通院慰謝料 金三〇〇万円

前記の本件事故と相当因果関係を肯定できる入・通院期間を前提に、その間の病状から推測される亡慶子が被つた精神的苦痛を考慮すると、これに対する慰謝料は、金三〇〇万円をもつて相当であると認める。

5  以上合計金七九五万六七〇一円

6  原告虎義が亡慶子の夫として、同鶴見伸二が同女の子として、亡慶子の損害賠償請求権を各二分の一の割合で相続したことは当事者間に争いがない。

したがつて、原告らは各金三九七万八三五〇円の損害賠償請求権を相続によつて取得した(一円未満切り捨て)。

7  右損害の填補として金八〇万円の支払いを受けたことは当事者間に争いがない。弁論の全趣旨から右金員は、原告らの法定相続分(各二分の一)に配分されたことが認められるから、これを控除すると、原告らの残債権は、各金三五七万八三五〇円となる。

8  弁護士費用

弁護士費用は原告らにつき各三五万円を相当と認める。

七  以上のとおり、原告らの被告ら各自に対する請求は、それぞれ金三九二万八三五〇円及び弁護士費用を除く内金三五七万八三五〇円に対する本件事故の後である昭和六三年五月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれをいずれも棄却することとして、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき、同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小野憲一)

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